親孝行は修行なり あくまでも私の場合はですが

Bouquet made of vegetables for Mother’s Day おひとり様 こころとからだ
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宇多田ヒカルは、母親の予測できない言動に翻弄され続けた

私の母親は強烈な人で、私は、母親の人生に取り込まれ、一時とも母親の事が頭から離れない幼少期を送りました。

先日、宇多田ヒカルが、テレビの音楽トーク番組で、母親との過去を振り返り、「今、世界がこうだと思っても、次の0.5秒後にそれがすべてひっくり返される可能性があるっていうのが普通」だったと、母親の予測できない言動に翻弄され続けた過去を告白していました。

私の場合も、まさにそういった感じでした。幼少期、学生時代、結婚後、出産後、子育て中も、ずっと母親の呪縛から抜け出せないままでいました。

トラウマは存在しない。変わらないという決心をしている

ようやくそんな母親の呪縛から抜け出すことが出来たのには、あるきっかけがありました。それは、私に自信を与えて下さったある大恩人との出会いでした。

もし、この大恩人と出会っていなかったら、今頃私はどうなっていたのか? いや、でもきっと何か別の事をきっかけにして、きっと今と同じように、自分で母親の呪縛から抜け出していたと思います。

心理学者アドラーによると、トラウマは存在しない。人は「変わらない」という決心をしている。変わる勇気がないから、過去の出来事を理由にして、自分自身で不幸を選んでいると。

ようやくおばさんになってから、変わる勇気が持てた

若い頃は、「変わるということ」には、なかなか勇気がいると思います。小学校、中学、高校、大学、そして社会人生活、ずっと集団の中で人と関係して生きていかなければなりません。「変わる」ためには、自分にとって危険な人を遠ざけたり、自分を守るという事をしていかなければなりません。それは、時にはとても孤独で、すごく勇気がいることです。皆と同調して、今のままでいる事の方が、数倍楽なんですね。

私のように、この歳になったからこそ、ようやく、シンプルな生き方をする勇気がついてきたんだと思います。人でも、物でも自分に大切なものを、だんだん見極めることが出来るようになり、大切なものはとことん大切にする。自分に危険なものは避ける、捨てる。断捨離は、人生多くの経験をしてきた人ほど、信念をもって進めることが出来るのではないでしょうか。

私の場合、親孝行は修行です

今は、母親への親孝行が、私に課せられた修行だと思い、母親を喜ばせようと、母親を旅行に連れていったり、時々実家に帰ったりしてしています。私が、親孝行を「修行」というのは、母親と一緒にいるのは、まさに「苦行」で、母親は、今でも相変わらず強烈で、何度もぶちぎれそうになります。

でも、今はっきりと言える事は、自分にとってずっと絶対的な存在だった母親が、今は、哀れな一人の人間として見れるようになったことです。 そう見れるようになった今だからこそ、私の親孝行もようやく始めることが出来るのだと思います。

宇多田ヒカルも、母親の人生に取り込まれた自分と決別し、今は、母親の事を一人の哀れな人間として客観的に見ることが出来、母親に対する自分の素直な思いを歌に表現する潔さや覚悟が出来たのではないのでしょうか。

これからの彼女の芸術活動が、今後ますます楽しみになります。

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