リンスとの二人ぼっちの孤独な日々が、今ではかけがえのない大切な思い出です

いつも一緒だったビバ シンガポール with リンス
いつも一緒だったリンス

リンスと一緒に過ごした孤独な日々は、今は私にとって、かけがえのない思い出です。今でもリンスとの日々が、毎日のように思い出されます。そしてこれらの記憶を思い出すたびに、決して忘れないように、ひとつひとつ脳裏に刻印するように、大切に思い出をたどっています。

シンガポールでの三年間

2005年8月にリンスとシンガポールに来星、それから2008年の帰国までの約三年間を過ごしました。

シンガポールは赤道直下の暑い国で、私が仕事に出かける時に、リンスだけを部屋に置いていくのが忍びなかったのと、エアコンを付けっぱなしでの電気代が払える程の経済力がなく、また急な停電が多いシンガポールで、停電した場合のエアコンが止まってしまうリスクを考え、当時の私のボスであるマネージャーがお計らい下さり、私は毎日リンスを会社に連れて行く事が出来ました。

お陰様でリンスは、寂しいお留守番をすることなく、涼しい職場のデスクの下で、毎日静かに寝て過ごすことが出来ました。

1日の終業時間のチャイムがなると、リンスは体全体で大きな伸びをして、さあ今日も1日終わったぞといった感じで立ち上がります。

当時の私のボスであるマネージャーと、心優しいオフイスの同僚達には、今でも本当に心から感謝しています。同僚の中には犬を不浄のものとするイスラム教徒の方もいましたが、とてもご理解のある方々で、本当にいつも優しく私たちを見守ってくださいました。

ランチタイムに自分のお弁当のおかずの魚をリンスにくださったり、休憩時間にリードを放し、リンスと追いかけっこして遊んで下さったり、リンスを大変可愛がって下さいました。

当時のリンスとの孤独な日々が、今ではかけがえのない思い出

仕事がオフな時は、リンスと私は、いつも二人っきりでした。ニューイヤーデイの時も、チャイニーズニューイヤーの時も二人っきり。 リンスと私は片時も離れず、外出する時もいつも一緒でした。経済的な余裕がなく、質素な生活でしたが、シンガポールでの全てのシーンでリンスと共に過ごしました。

MRTやモノレール、バスに乗ったり、すべての移動で、改造キャリーが大活躍でした。

リンスと初めてシンガポールに

リンスと初めてシンガポールに

趣味の読書。リンスと一緒に図書館や古本屋に通う

2年半たった頃は、毎週休みにリンスと図書館に通いました。Danielle Steelのロマンス小説を片っぱしから借りて読みました。古本屋にも通いました。読書に夢中になることで、孤独を忘れることができました。私がベッドに寝そべり本を読む傍らには、平和な顔で寝ているリンスがいました。

シンガポールで読んだ本

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日本人のテニスサークルに超初心者で参加

また、帰国半年ぐらい前には、日本人のテニスサークルに超初心者で参加させて頂きました。

メンバーの中に、犬を飼っている方が何人かおられ、テニスコートにわんちゃんたちを連れてこられていました。リンスもテニスコートの片隅で、私がテニスの練習をする間、他のワンちゃんたちと一緒に待っていてくれました。

ボール遊びが大好きなリンスは、テニスコートの周りの生垣の茂みに、すごい勢いでもぐって行って、暫く姿が見えなくなったかと思うと、口にテニスボールをくわえて得意そうな顔で出てきました。茂みの奥深くに入ってしまって見えなくなっていたボールを、次から次へと発見して集めてきました。

テニスでのお友達とツーショット

テニスでのお友達とツーショット

息子の最後通告で帰国を決心しました

シンガポールに3年間滞在中、息子と娘に会うために、私だけ半年毎に日本に帰国していました。

その間、会社のシンガポーリアンの同僚や、テニスサークルのメンバーの方、会社のマネージャーがご自宅でリンスを預かって下さいました。マネージャーの奥様は、ご自分の愛犬を日本において来られていたこともあり、リンスの事をとてもかわいがってくださいました。

2008年になり、一時帰国した私に、突然息子が、「永久にシンガポールにいる気なのか。リンスを連れて早く帰ってこないなら、親子の縁を切る」と言い出しました。

この息子の突然の最後通告に、とてもびっくりしました。しかし正直なところ、私はこの息子の言葉に救われたような気持ちでした。シンガポールに行った時から、日本への帰国など考えないようにしていた自分の思考回路が、始めて息子にそう言われたことで、一機に新しい方向に突然向きを変えたような気がしました。

帰国の準備

息子の言葉で、即座に帰国に同意し、翌日から、インターネットで日本での就職先を探し始めました。ちょうどリーマンショック前の景気の良い時期で、おばさんの私でも、求人先がたくさんあり、応募したほとんどの会社で内定をもらう事が出来ました。

最後には、第一希望で、当時シンガポールで務めていた会社の親会社に採用が決まりました(現在もその会社に勤めています)。 こうして、日本への帰国の準備が整ったのです。

別の記事でも書きましたが、リンスの帰国のための、日本に動物を輸入する手続きは、シンガポールにリンスを入国させる時と同じぐらい、非常に緊張しながら行いました。

今までは直行便ということで、シンガポール航空しか使ったことがなかったのですが、タイ航空が、既定の大きさでの小型犬の機内持ち込みが可能だということがわかり、帰国時はタイ航空を使いました。

シンガポールから、タイ経由でしたが、キャリーバッグに入れたリンスをずっと私の座席の足元に置くことが出来て、とても安心して帰国の途に着く事が出来ました。

タイのスワナブーミ空港では、空港内のカートにリンスを乗せて、関税店を見て回った時に、行きかう人々に「可愛いいね!」と、いっぱい声をかけられました。

羽田空港に到着した時の嬉しかった気持ちは今でも忘れることができません。

帰国後快適な住居を求めて5回引っ越しました

日本での住居は、帰国前にシンガポールからインターネットで探し、不動産屋さんに国際郵便で契約書をシンガポールに送ってもらい、契約を済ませました。そして羽田空港から直接新居となるアパートに向い、前もってその日着で注文しておいた布団を宅配で受け取り、その晩から新居での生活をスタートしました。

経済的に厳しかったので、敷金礼金なしのところを探しましたが、なにぶん大阪は初めてで、土地勘がまったくなく、結局電車とバスで1時間ぐらいかけて会社に通うことになりました。

私が会社に行っている間、リンスを独りぼっちにするのが凄く不憫で、毎朝5時に起きては、約1時間のお散歩と、会社から帰宅してからもまた1時間のお散歩に連れて行きました。

シンガポールでは24時間ずっと一緒だったので、さぞかし退屈で寂しいだろうと思い、雨の日も、風の日も、寒い冬の日も、毎日毎日、朝晩散歩に連れて行きました。リンスは本当によく歩く子で、お散歩が大好きでした。ここには、1年ぐらい住みました。

二度目の引っ越しは、会社に近いところを探し、自転車で15分ぐらいのところに住みました。

当時ペット可の物件が少なく、条件は非常に悪かったです。月4万円ぐらいのワンルームの小さな部屋でした。唯一ある窓は、隣のマンションの壁で完全にふさがっており、全く光が入らない洞窟のような部屋でした。ここでも、1年ぐらい住みました。

三度目の引っ越し先は、以前の所より少しだけ会社から遠くなりましたが、日当たりがとても良い出窓のある2階の部屋でした。しかし、引っ越してまもなく、息子の要望で、当時別居していた元旦那さんに、リンスを預けることになりました。私は東京、息子は愛知県。このままだと、大阪は遠く、息子はなかなかリンスに会えません。

息子は、父親が住む愛知の実家の家に週末帰って、リンスに会えるようにしたいとの事でした。

私は、息子のためにリンスを手放しました。とても辛い選択でしたが、他に選択肢がありませんでした。

リンスと離れ離れに

リンスが愛知に行ってしまった後、ひどいペットロスになりました。今までにリンスと住んできたアパート近くを訪れては、リンスと散歩した場所を歩いて、思い出しては泣きました。

でも、私が3年間リンスをシンガポールに連れて行っていた間、息子や娘はリンスと会えず、ずっと寂しい思いをしていたのですから、今度は私が我慢する番でした。それから、三年ほどの歳月が流れました。

リンスが再び私のもとに

ある日、元旦那さんから、事情がありリンスをもう預かれなくなったから、引き取ってくれと連絡が入り、リンスは再び私のもとで暮らすことになりました。東京から愛知へは、電車で3時間ぐらいかかり、遠いですが、息子の所に、出来る限りリンスを連れていくようにしました。その後も2回引っ越ししましたが、私の収入も徐々に増えていったこともあり、その都度アパートの条件が良くなって行きました。5回目の引っ越し先は、現在の住居となりますが、日当たりの良い2LDKです。亡くなるまでの約2年間、リンスは現在のアパートで暮らしました。リンスは既に高齢犬ではありましたが、よくお散歩し、よく眠り、相変わらず元気で過ごしておりました。私はそのころ、たびたび娘に、「今までの人生の中で一番幸せやわ。ずっと子どもの頃から、誰にも遠慮せず、かわいいわんちゃんと、こんなふうにまったりと暮らしたかったんさ。」と言っていました。リンスと二人っきりの生活は、孤独ではありましたが、同時にとっても幸せな日々でした。そんな生活がずっと続くと思っていました。

この幸せな生活がずっと続くと思っていた

一方で、高齢犬となったリンスの近い将来を考え、更にもっと会社に近い、出来れば徒歩5分ぐらいの場所に引っ越そうかと考えたりして、物件探しをしたり、自宅に訪問診療してくれるという獣医さんを訪ねてみたり等、何となく高齢犬の介護というもののイメージを抱き始めました。でも、その時もリンスが死ぬなんて一度も考えたことがありませんでした。

ある日娘が、栃木から遊びに来た時に、「りんちゃんが、すごく小さくなってる。もしかしたら私がりんちゃんに会えるのは、これが最後かもしれない。だから今回いっぱい抱っこしておこう」と急に縁起でもないことを言い出しました。

その時も、私の目には、リンスはいつもと変わらずとても元気だったので、私はそんな娘の言葉を全く気にもとめていませんでした。

病院にヒラリヤの薬をもらいにいったり、予防接種を受けさせに行った時も、病院に、高齢犬の生活の注意点等が書かれたパンフがおいてありましたが、あまり気にもとめず、たまに手にとっても、どこか他人事で、パラパラめくるだけで、決して詳しく読むようなことはしませんでした。

リンスは、若い時から食が細く、うんちが時々緩くなったりしましたが、そのくせおやつには目がなかったし、病気もほとんどせず、お散歩が大好きで、とにかくよく歩きとても元気な子でした。動物保険にも入っていましたが、ほとんど利用することがありませんでした。

NHKで「洞窟おじさん」を見た

2017年1月の末頃だったと思いますが、リリー フランキー主役の「洞窟おじさん」という映画をたまたまテレビで見ました。

ある少年が、両親からの虐待を逃れるために家出をし、可愛がっていたと山でこっそり二人っきりで暮らすのですが、大人になった少年をリリーフランキーが演じていました。

少年が大自然の中で、犬と二人っきりで孤独だが、とても幸せな生活を送っていました。 でものちに、その最愛の犬が少年を残して死んでしまいます。

この映画を見たときは、とてもやるせない悲しい気持ちになりましたが、一方で、自分の場合は、リンスは元気に生きていて、映画のストーリーと自分の当時の状況を比較し、優越感を感じていたんだと思います。その時は、この悲しい話は、自分とは全く関係のない、あくまでも映画の中の話でした。

思い出を大切に、そして今を幸せに生きる

それから、数か月後にリンスは亡くなりました。あんなに元気だったのにです。

リンスとの孤独な日々を振り返ることは、私にとっては、まさに私の人生そのものを振り返ることです。

これから、そして今をどう生きるかを真剣に考えることだと思います。

この私のブログ「ときめきカウントダウン」と共に、今を、そしてこれからを必ず幸せに生きるための方法を見つけていきたいと思います。

シンガポールの強い日差しの中

シンガポールの強い日差しの中

 

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